こころの法話集072
お話072
防ぎようのない苦悩
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
矢を放つ心
昔、お年寄りから聞いた言葉の中に、「隣の家の蔵の杭打ちは、腹に響くもんじゃ」というのがあったような気がいたします。今では、違った意味になるかもしれませんが、味わいある言葉だと思います。今では、騒音防止とか、迷惑料とか、それなりに文句の一つも言えそうでしょうが、その言葉の意味するところは、昔も今も変わらないと思えます。
他人が出世し、繁栄するのはおもしろくないものです。腹の虫が収まらないこともあるでしょう。家庭にも、職場にも、そうした問題がいっぱいたまっています。そんなところから、大きくは恐ろしい事件が発生し、また小さくは、それぞれその苦悩が深まって行くのではないでしょうか。
人間の判断は当てになりません。いつも自分の考え方が先行しているからです。外国を旅行したある人が、「外国人は何を考えているか、さっぱり分からん、あいつらはどうかしてるよ」と言ったそうですが、どうして、どうして、分からないのは外国人どころではありません。日本人だって全然分からないのです。
家庭の中でも、職場の中でも分かりません。いつでも、どんなことが起こるか分からないという状況の中で、毎日々々、ある時は喜び、ある時は怒り、また、ある時は胸を痛めて悲しみながら過ごしているのです。釈迦の言葉に「むさぼりと、怒りと、愚かと、たかぶりとは、四本の毒矢だ」とございます。この毒矢はお互いの心の中から放たれるので防ぎようがないのです。釈迦の戒めを深く味わってみましょう。