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こころの法話集080

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お話080

恐怖心で思わず口に

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

怖いときのお念仏①

お宗旨にもよりますが、あなたはお念仏をとなえたことがありますか。ここでお念仏というのは、阿弥陀さまのお名前をとなえるナモアミダブツです。終戦の年に、私は福井市の空襲に遭いました。飛び込んだ防空ごうのうえには、焼き弾がパンパンと落ちる音がしていた。
夜中のことで真っ暗の防空ごうで隣にいる人がナマンダブと低い声でとなえていた。高いビルの屋上に対空機関銃があったはずだけど全滅したのか、動転してしまったのか、一発の銃声も聞こえなかった。高い空の敵飛行機が相手では、われわれは手も足も出なかった。ただなすすべもなく、ひたすら敵機が行ってしまうのを待っていた。
「長いこといるなァ、やつらいつまでいるのじゃ」と嘆いている人がいた。ごうの入り口から火事の煙が入ってきて、息ができなくなった。もう終わりだと思ったものでした。
福井震災のとき、倒壊した家から煙が出ていて、ひしゃくで水をかけている老婆がいた。「ナマンダブ、ナマンダブ」と言っていた。消防自動車は来なかった。道路が倒れた家でふさがっていたので、動けなかったと思います。
また別のとき、ある人が自転車に乗っていて、田んぼの真ん中で雷に遭った。部落と部落の中間で、行きも戻りもできず、道路に自転車を倒して自分も寝転んだ。田んぼに火柱が何度もたった。低いところでも雷が落ちるのを見た。夢中で「クワバラ、クワバラ、ナマンダブ」ととなえていた。
仏さまに頼ろうという人情によるものでしょうが、これらの念仏は恐怖念仏というもので、信心によるものとは言えません。

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