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こころの法話集081

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お話081

長いあくびの後でも

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

お念仏の口ぐせ②

五六豪雪のときは、交通が止まって大変難儀をしました。バスターミナルで何時間もバスを待ったことは珍しくありませんでした。老人では歩きだす元気もなくて、その辺りを行ったり来たりしてイライラしていました。たばこを何本も吸ったり、ツバを吐いたり「アホが、バカが」とつぶやいたり、時間をつぶすのに苦労していました。
揚げ句の果てにドスンとベンチに腰を下ろして「アーア」と大口を開けて長いあくびをしました。そしてそのあとになんと「ナマンダブ」と言いました。面倒そうに言いました。あくび念仏といわれるもので、信心によるものではありません。

お話081

銭湯で一日の疲れをいやすことはいい気持ちのものです。年配者では手ぬぐいを頭にのせている人ともあります。手ぬぐいを湯につけると湯が汚れるから、これはよいやり方のように思われます。腕を湯の中で大きく伸ばしながら、さもくつろいだ感じで「ナマンダブ」といいました。フロ念仏といいます。信心がなくともいいます。しかし、御恩報謝の人もあるかもしれません。
「それぞれに人には癖のあるものを、うらやましきは念仏の癖」という歌があります。口癖にしているうちは、信心がなくても念仏をとなえるようになります。もっとも「信なくばつとめて御名をとなうべし。御名よりひらく信心の花」という和上さまの歌もあります。他力の信心をのぞむなら、お念仏をなおざりにしてよいものではありません。

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