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こころの法話集106

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お話106

人のため利己心捨て

坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政

あさましい私の心

考えてみると、人間というものは勝手なものですね。自分の都合のよい時は喜び、自分の都合の悪い時は悲しんだり、他人を恨んだりします。そして、仏様や神様に向かっては自分だけの幸せを祈ります。本当に恥ずかしいことです。
仏様では、仏様の次の位のお方を菩薩(ぼさつ)といいます。菩薩とは、利他の心をもった方です。利他の心とは、自分のことはさしおいて、ほかの人を幸せにしてあげたいと思うのです。それこそ本当に尊い心です。
昔から仏教の修行をした人々は、そういう菩薩になりたい一心で修行をしたり、勉強をしたりしたのです。しかし、悲しいことには、人間である以上はどこまでも自分がかわいいという利己心を離れることが出来ません。本当にあさましいものです。
せめて、そういうあさましい自分の心のすがたに気づかせてもらいたいものです。
島根県の妙好人才市さんは、自分の心のすがたを眺めて、次のような歌を詠んでいます。

わたしや あさまし
泥のくらやみ とりえなし
天地のやみで ぶらぶらと
おちることしらずにくらす
ぶらぶらと 世をすごす
このあさましが

お話106

このあさましい自分に気づく時、もう頭の下がる外はありませんが、それは実は自分の力ではなくて、広大な仏様のお慈悲に照らされているからだと思う時、その心は喜びは変わってくるのです。
その喜びの中から、少しでも世のため、人のために尽くさせてもらいたいものであります。

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