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こころの法話集125

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お話125

「どこで生きても・・・」

福井市松本四丁目・千福寺住職 高務哲量

讃岐の庄松(上)

讃岐の国に庄松(しょうま)さんというお同行がおられました。学問もなく身よりもなく、その一生をお手次の寺の手伝いをしながら、お念佛の一生を終えられた人であります。この人の残した言葉の数々が、現在を生きる私たちの心に深い感動を呼び起こすのも、庄松さんが真実に如来様の智慧と慈悲を真正面かた受け止め、如来様の願いに感動し、うなずきながら生きられたからでありましょう。

お話125

この庄松さんの生き方を裏付けていたのが表題に掲げた「どこで生きてもお浄土の次の間」という言葉に象徴されるのでありましょう。ある年、御本山参りのために乗った舟が、珍しく瀬戸内海がしけて大揺れに揺れて、同行の者は生きた心地がせず震えながら心配し合っている中に、庄松さんだけは一人高いびき。ふだんから庄松さんの無学を少しバカにしていた人たちは、あいつは鈍いから平気で寝ていられるなどと言い合っているうちに、波も静まり夜も明けて来ました。すると、大あくびをしながら起きて来た庄松さんの第一声がなんと「ここはまだ娑婆(しゃば)か」。同行の人はこの一言に言葉を失い、あ然としていると庄松さんは続けて、「わしらどこで何をして生きてようと、そこはお浄土の次の間じゃ。ふすま一枚開けりゃ、そこはお浄土だで、何も心配することはない」と言い放ったそうであります。

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