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こころの法話集136

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お話136

「お陰」を喜ぶ心大切

福井市上莇生田町・安楽寺住職 佐々木俊雄

お冥加(みょうが)

何年か前のこと、教室で生徒諸君と、「安楽死」を話題にしたことがあります。ご承知のとおり、病気が重く治癒の見込みが全くなく、ただ苦しむばかりのお方に、その苦しみを除いてあげる手段をして、そのようなことが出来はしないか…との議論でした。
その時私は、人間は、どんなに苦しんでいても、一瞬その苦しみがやわらいだときには、ああ生きていてよかった、との気持ちが起こるものではなかろうか。人間が本質として持っている本当の願いは、身体の不調による苦しみから出るそのときそのときの言葉や、思いとは違うと思う。人間の生命の問題は、たとえ自分の場合であっても、自分の身勝手な都合によって処理されるべき事柄ではない。
もし、現実にそのことを論ずる必要が生じたら、それは、神や仏の智恵において判定されなければならない。確かそのように話した記憶があります。
余談ですが、それから間もなく、ある国立大学医学部の入学試験にこの問題が出されました。受験生諸君がもし私の論旨を書いたとき、果たして高い得点が与えられたかどうか、今でも気がかりであります。
私たちの生命は、本来、自分で操作できるものではありません。私たちはもの心ついたとき、すでに私の生命は授けられているのです。生命の終りもまた、私の思いにはかかわりがないのです。

お話136

「お冥加」というのは、お陰を喜ぶことなのであります。最近、「お陰さま」という言葉が出にくくなりました。親鸞聖人は、「遠く宿縁を慶(よろこ)べ」と申されますが、「お陰」を喜ぶ心と、その心を持つことができた喜びの大切さを教えられているのであります。生命はこの上なく大切なのであります。

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