こころの法話集184
お話184
喜びに満たされるとき
春江町千歩寺・順教寺前住職 中臣徳恵
ほほ笑みを
テレビの幼児を育てるテーマの時間に、かわいい赤ちゃんの顔が映りました。母さんの顔をじっと眺めて、にっこりとほほ笑みました。傍らに心理学の先生がおられて説明されました。お母さんの顔をじっと見つめる。またおもちゃでも見て、心の中に刺激を受けて、リラックスする時にほほ笑みが表れるとのことでした。
釈尊がお花をお手で、ねじられたのを、お弟子の中の伽葉尊者(かしょうそんじゃ)だけがにっこりほほ笑まれました。これを拮華微笑(ねんげみしょう)というのであります。
観無量寿経にイダイケ夫人が、憂い苦悩を釈尊に訴えられた時、阿弥陀如来のお浄土をお示しになった。それはお釈迦さまが、イダイケ夫人の問われたことに対して、お喜びになって、ほほ笑まれました。これを即便微笑(そくべんみしょう)と説かれてあります。
西洋のモナリザの名画にみるほほ笑み、そして太秦(うずまさ)の広隆寺の弥勒(みろく)菩薩の半伽像(はんかぞう)のほほ笑み、実に妙なるお顔でありますね。
年齢が加わると、人生の苦難も重なり、顔に表れる煩悩、ことに怒り狂うて鬼のような顔つきになることがあります。毎日の新聞紙上に幼い純心なかわいい顔、だれしもあったのが、年が加わるといつしか見にくい顔となります。日々鏡に映ったわが顔を顧みて、ほほ笑みとなるようにしたいものです。
み仏さまのお心をいただき、喜びに満たされる時、自らほほ笑みが表れます。