こころの法話集193
お話193
大もうけ祈願は無道
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
散華供養のおさい銭
「ただよりたかいものはない」「うまい話に用心せよ」といいますが、「馬の目を抜く」などと世の中の厳しさを示す言葉もあります。「人を見たら泥棒と思え」と油断もスキもならない世の中で、すべて不信の深さを表しています。しかし「旅は道づれ世は情け」「渡る世間に鬼はない」の言葉もあります。
つまり、私にとって、何がどうであるのかが重要であるということでしょう。私のためになって下さる方は尊く、私を傷つけるものがあれば悲しく思われます。
お寺に参けいしたときお賽(さい)銭をあげますが「賽」の字は「報いる」「おれいまいり」の意味で、利益を受けた場合、これに報いるために献ずるものです。一名散銭といいます。散華供養の意味があります。仏教をお教えいただくご恩を思って供養するのであって、その人のご恩報謝の行いです。報賽銭ともいいます。お説教のお座で、お賓銭を出すのはこの意味です。一般の講演会で受講料を納めることがありますが、お賽銭は自由意思で金額も自分の気持ち次第です。
したがって多額のお賽銭を出して、もとでをかけただけ大もうけをさせていただきたいと祈るのは考え方が逆です。お賽銭は仏法が子孫に伝えられるための維持費になるわけです。