こころの法話集200
お話200
ひらかせて頂くこと
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
聞くことの難しさ
「仏教を聞く」「お説教を聞く」「お聴聞をする」と申しますが、「聞く」ということは、人の話を聞くのではなく、仏さまのお話を聞かせて頂くわけであります。お互いの「ひと」の話を聞くのではなしに、その「ひと」の言葉を通して、仏さまのお話を聞かせて頂くことなのであります。
また、その仏さまのお話を聞かけて頂くということは、「仏さまの願い」の一部始終のいわれを聞き、ひらかせて項くということでございます。ここではっきりしておかなければならないことは、一般的に宗教的行為とみなされているところの「私の願いをかなえてください」と神仏に「願かけ」をしたり、「祈り」ごとをすることは、大きな違いがあるということです。
すはわち、私の願いをかなえさせて下さいと「願かけ」をするのではなくて、「仏さまの願い」のいわれを聞き、ひらかせて頂くということが、法を聞くということであり、お聴聞ということなのです。とは申しましても、仏さまのお話を聞かせて頂くべく”おすすめくださる人””お育てくださる人”がおられて初めて仏さまのお話を聞かさせて頂けるのです。
その意味で、親鸞聖人が”よき人”と仰がれた、法然上人との出会いによる、仏との会話が、いかに素晴らしかったものであるかということが、うかがわれることであります。