こころの法話集201
お話201
仏壇の世話は家人で
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
お給仕はうらがする
葬儀の時は葬儀屋さんが万端とりしきってくれるので便利なのに、お寺さんは何もしてくれない。お経あげにきてくれたなら、忙しいときには家の者の手を煩わさないで、自分でロウソクに火をつけてお経をあげてくれたらよいのに-という声を人づてに聞いたことがあります。
私はお同行の家に行ったときは、動作が思うようにできない老人しかおいでにならないときは、私がお灯明をあげますが、元気な家人がおいでのときには、いたしません。「何も知らんので」と迷惑そうにいう人がおりますが、仏壇のお給仕は家人の勤めです。仏壇のお荘厳(おしょうごん=お花立て、お掃除)やお給仕(お供物、お灯明やお荘厳のお世話)は家人のお敬いの心の表れです。
あるとき檀家で、お同行がかなりの高齢で動作が苦しそうでありましたので、私が仏壇のお扉をあけますと、「ご院さん、それはうらの仕事じゃ。代わってもろうては、仏さまにあいすまねえ」と文句が出ました。法事の場合は、とくに「三宝供養」の僧家供養が主眼ですから、施主がお給仕すべきで、それが供養の姿勢です。