こころの法話集235
お話235
自分に適当な教えを
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
「わけ登る麓(ふもと)の道は多けれど同じ高嶺の月をみるかな」
宗教の目的は転迷開悟、安心立命と一口にいわれます。迷いを転じて悟りを開く。心を安んじて暮らしていけるようになるということです。したがってどんな宗教も同じであり、特に仏教はみなお釈迦さまのお教えだから何宗でもよいはずだという人があります。この古歌も同じような意味合いで、同じ高嶺の月とは覚り(さとり)-真理をさしていると理解できます。どこから山に登っても頂上に立てば、同じ月を見るというわけです。一応そうですが、さて自分の場合は山の絶壁をよじ登る技術や力があるかどうか。目が悪い人は密林の中では迷うし、足が悪い人は急な坂を登れません。山登りでは好んで絶壁をロープにぶら下がって登る人があります。しかし、そんな力がない人は観光バスで登山します。絶壁はだれでも登れるわけではありませんが、観光バスやケーブルカーに乗ればだれでも登れます。
阿弥陀さまのお慈悲の乗物(本願力)ならだれでもお浄土に往生できます。