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こころの法話集250

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お話250

味わい深い日々送る

福井市田原二丁日・法円寺住職 細江乗爾

生きる中身

「人間」と書いて、私たちは”にんげん”と読みならされてきました。”にんげん”という言葉は、インドの古い言葉のサンスクリットでは、”マヌーシャ”と言って、「考えるもの」という意味だそうです。
なるほどそう言われてみると、私たちは境涯や、境遇の違いを他人と比べてみて喜んだり、悲しんだり、あるいは今と昔のことを引き合わせてみているのが、私たち”人間”の大きな特徴と言えましょう。
だから、過ぎ去った過去のことに、心惑わされて、くよくよし、明日からのことが気になって、びくびくし、良くなった、悪くなったと考えていることに気付きます。
また、この考えるという作業の中で、物事を、後回しにしたり、先取りしたりもしています。いわゆる”やりくり”に生き、また、今日の目の前のことで、心が落ち着かないと、いらいらしているというわけでしよう。

お話250

生命の問題も大きな問題です。五十四年発表の平均寿命は、男性73、46歳、女性78、89歳だと示されています。私も、その中の一人に入っているものとして、一瞬一瞬の生命を、長らえているわけです。何をやりくり上手にふるまうといっても、「老少不定」とお示しの上には、あがなうことは出来ません。「老少不定」ということは、ただちに死が訪れるかもしれないし、相当長く生きながらえるかもしれないといえましょう。
しかし、「いつ死んでも」「いつまで生きていても」如来の本願にはからわれ、うなずかされての一日一日と味わえるのではないでしょうか。

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