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こころの法話集251

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お話251

自らが身のほど知る

福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾

多くの味が一つの味を教える

「砂糖は甘い」「塩はしょうぱい」「酢はすっぱい」「とうがらしはからい」。まあ、当たり前の話でありますが、ここでちょっと考えを巡らしてみると、面白いことが分かります。
例えば、もし、砂糖の味しか知らないものには、砂糖が甘いということすら分からないのではないでしょうか。また、塩の味しか知らないものには、塩がしょっぱいということさえ、味わえないのではないでしょうか。
「貧(むさぼ)り」。欲しい、欲しいの心でありながら、むさぼり、明け暮れていることしか知らないというのは、貧欲(どんよく)の境涯に私が今、現におりひたりこんでいるということのしるしでしょう。
また、腹を立てながら、腹を立てているのを知らないのが、「瞋恚(しんに)」の境涯に、私がいることのあかしでございましょう。「地獄一定(いちじょう)」という仰せは、地獄へ落ちる行業に明け暮れながら、その罪業深重の罪業の深いことを知らずに過ぎている。

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ところが、如来の仰せが聞こえてくると、はじめて、「地獄一定」の自らの身のほどが知らされる、ということでありましょう。このような意味で仏さまの世界、地獄の世界と聞かされるところに、人間の境涯に生まれた意義と、喜びをも知らされていると言うべきではないでしょうか。

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