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こころの法話集270

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お話270

無常なるが故精進を

小浜市遠敷・西光寺前住職 吉田俊逸

釈尊は「人間は無常なるが故に、怠りなく、精進せよ」と最後の言葉として私たちをいましめられたと伝えられています。無常とは「はかなさ」のみを表しているのではありません。もののあり方、私のあり方の本当のすがたを教えられた言葉です。
私の人生の中に今日という日は二度と同じかたちでは現れてはきません。このことが無常なのであり、単なる感情の問題や形容詞ではありません。現実の事実なのです。二度とないひとときであればこそ力の限り努力すべきなのです。「無常なるが故に精進せよ」という教えは私たちに悔いのない人生を燃えつくす道を示されたのです。
榎木栄一氏の詩に「人間は何十億といるのに、私と同じ人間が、どこにもいないのは不思議なことだ。この私の中に、無限の世界があるのは、さらに不思議なことだ」といっていられます。
また重度身障者の神田知佳さんは「光と自由を失って、もっとすばらしいものがあることを知りました。
それは人の心の優しさということです。でも、ふと疑問に思うことがあります。それは、与えられることが多く、与えることの少ないものが、本当に人の心の優しさを理解することができるかということです。私はそれを知ったといいましたが、もしかして、本当はわかっていないかもしれません。なぜなら、今の私にはだれかに優しくしてあげられるものがほとんどないからです。いつの日にか与える喜びを通して、本当の意味を、私は知らなければなりません」とも。

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私はこの文を読み、念仏を喜んでいますが、本当のありがたさを今一度考えさせられました。本当の喜びとは、み仏の真実にあった喜びであり、その真実心の念仏は如来よりたまわったものなのです。自分一人が喜んでいるのは本当の喜びなのでしょうか。その喜びを他の人に与えてこそ念仏者の喜びだと思います。

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