こころの法話集279
お話279
無心に開く花のよう
春江町千歩寺・順教寺前住職 中臣徳恵
ハスの花がつぼみだったのが、薄紅に開きます。キキョウ、ヒマワリ、いろいろのキク、おのおのの花を開かせています。アサガオのごときはわずか二時間ほどだが、その美しさ。サクラなどはパツと開いてそのいのちは短い。どの花もそのいのちは短い、多少の長き短きはあるが、無心に開いています。だから美しいのです。
われら煩悩に明け暮れしているものは、名利にふけり、我執に終始し、いかに行動しても、それは花の美しさには及びません。恥ずかしいかぎりです。
道元さまは「仏の心にわが心を投げいれて」と言われたそうです。親鸞さまは「み仏の知恵と慈悲にかぎりないお心をいただく」のだと教えられました。天親菩薩の浄土論に「園林遊戯(おんりんゆげ)」というおことばがあります。成仏してこの人生に還(かえ)りて煩悩の世に、仏の利他の行を子供がおのれ忘れてただ遊んでいるようである。それは楽しい、そして美しいすがたであります。
ちょうど花が無心に開いているようだ。だれにほめられよう、金もうけしようとするのではない。芸道何十年の方は、その道に無心だから国宝的人物と言われるのであります。私どももまた一日に一時間でも三十分でも、そんな時間があってほしい。
尊い生命をいただいている、しかしあすのいのちは枯れ、終わるかもしれぬのです。花が無心に開くごとく、遊戯ざんまいになっているように、すなおにみ仏の教えを聞かせていただきたいものであります。