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こころの法話集302

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お話302

大野市伏石・常興寺住職 巌教也

ご恩の意味 見直そう

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは・・・。
「老人って、赤ん坊にかえるというけれど、赤ん坊と違う点は、人生を歩んできたということ」(わらじ医者)
人生七十年に大体人間は五億歩あるくという、外国の統計を聞いたことがあります。計算すると三十八万四千キロになり、地球を十ぺん回るのと、地球から月の世界までの距離が、同じ三十八万四千キロですから、なるほど人生は長い旅なんだなアということを、しみじみと実感いたします。
だれでも生まれた時は赤ん坊でしたが、歩きはじめて、年輪を重ねるにつれて、見えない背中のリュックサックは、心の重荷でいっぱいになります。
しかし、人それぞれに背負っているリュックサックの中身を見くらべて見ることはできませんが、きっとお互いさまに重いだろうなアということだけは、想像することができましょう。
昔、小学校の校庭には、薪を背負って本を読んでいる二宮尊徳(金次郎)の石の像がありましたが、あるおバアさんが「薪をおろして本を読んだらよいのにネ」とつぶやかれたそうですが、背中の荷物の重さを知って、共感できるやさしさを持っている人だけが言える、重たい人生の心の言葉ではないでしょうか。

お話302

現代ならさしずめ、交通事故に遭いますヨと、注意するだけかも知れませんが…。
これも昔「重荷背負うて山坂すれど、ご恩おもえば苦にならぬ…」と歌った方がありましたが、もう一度私たちの身の回りの昔は生活の中の日常語であった「ご恩」という日本語の言葉の意味を、私たちが歩む人生の精神生活の上からも、見直してみなければならないと思います。

五つの怖れと慈しみ

あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは…
「心があちゃこちゃに配られると“心配”、心が亡くなると“忘れる”、心が横に行ってしもうて亡くなるほど、“忙しい”」(わらじ医者)
私たち人間には五つの“怖(おそ)れ”があると、仏教の教典は指摘して下さいます。
一番目は生活不安の怖れであり、パンの問題です。二番目は世間の評判を気にする怖れです。三番目は生を失う死の怖れです。四番目は不幸になることの怖れであり、生活が破たんする不安です。そして五番目は、世間からつるしあげになることの怖れであるということです。
つまり私たち人間の身と口と意(こころ)に関係しておこる怖れを要約されたものでありましょう。これに対して、決して怖れることのないのは、ただ仏さまに真実の智慧(ちえ)だけであるというのです。
それは、人間がみんなもっている苦しみ悩みを、仏さまの大きな悲しみ痛む心でもって包んで下さり、人間に生まれてきた尊さを喜び守りましょうと、強く明るく行きぬく道を教えられ、差別のない自由と自在と平等の心でもって、仏さまの慈しみの心に収め入れて下さる智慧と慈悲の、大きく広く深いその働きとめぐみの心のたまものでありました。
そんな仏さまの教えに触れることによって、初めて私たちは心の目を覚まし、そうであったナアとうなずくままが仏さまの救いでありました。
ある方は歌われました。「岩もあり木の根もあれどさらさらと、たださらさらと水の流るる」と。水はただ流れることによって、みずからの道を開いていくように、私たちの人生の在り方を正しく教えられ、その仏さまの心をわがものといただく、絶対自由の道でございました。

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