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こころの法話集358

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法話358

よろこび(一)

東京・元東京大学教授 笠原一男

親鸞聖人がお生まれになって、八百七年になりますが、今なお、誕生日をお祝いするということはどういう意味でしょうか。
八百年以上も誕生を祝われるということは、たいへんなことですね。なぜ、生まれた時に祝うかというと、無限の未来を持っているからです。その無限の未来、無限の可能性というものが、まだ手つかずにためされていない訳ですね。将来これが、国を救い、世界を救い、人類を救う可能性があるから、生まれてきた時は、貧しいとか豊かだとか、そんなことに関係なしにお赤飯をたいて祝うんだと思います。
それが、その人が死んでから百年、二百年、いや、五百年、七百年、八百年もたって、なおかつ、見も知らないたくさんの人から、誕生日を祝われるということは、それだけのことを、日本人、いや人間に対して残しているからです。もし何も残さなかったら、生きている間から、だれも誕生日なんか祝われませんよね。
今、日本の歴史、約二千年の間のことが、わりあいにはっきりしていますが、二千年の歴史の中で、その人が亡くなってから、八百年後に、盛大に誕生日を祝われる人は、ほとんどいませんよ。せいぜい十人ぐらいでしょうね。日本民族二千年の歴史の中の、十人の中にはいるほどの大きなことを親鸞聖人が残してくれたから、感謝の意をもってありがたかったと、誕生日を祝う、こう思います。

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