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こころの法話集359

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法話359

よろこび(二)

東京・元東京大学教授 笠原一男

生まれただけが、まさに人生は、苦界です。苦しみの海です。なぜ自分は生まれてきたのだろう。なぜ親はわれわれを生んでくれたのだろう。生まなければ、こんな苦しみは無いものなのに、苦しみがあってのりこえて、初めて私どもは、喜びというものを感じられる。だから、たとえばわれわれが、小さな何かほしい物があるとすると、女の人なら、ダイヤの指輪がほしい、男の人なら高価な時計がほしいと無理してお金をためて、やっと手にしたその喜び。時計でさえも、指輪でさえも、そんなにうれしいものです。
ましてこの人生というものを、ほんとうにすばらしい人生を手にするには、どうするか、そしてわれわれ自身が、救われていくには、どうするかということ、この教えにめぐりあって、ほんとうにその教えを信じて救われたという自覚。これが私、最大のよろこび、だから宗教によって、救われた時は「踊躍(ゆやく)歓喜」というのでしょう。
天におどり、地におどって、とびあがって喜ぶほどのこと、これが宗教の救いであると思う。だから人間に、生まれがたき人間に、生まれて、ありがたきすばらしい宗教にめぐりあって、それを信じて救われたというこの自覚をもったことを、これが私最大の喜びだと思うんですが、なかなかこの喜びを口では言い、心では思っても、手に出来ない。
踊躍歓喜の喜びを、だれもが感ぜられるのだけれども、なかなか、その喜びを感じられない。そこにやはり信仰というのは、たとえ、他力の救いでも、やさしいけれども、手にするのは、きわめてむずかしい。しかしむずかしいものを手にした時の喜びは、最大のものとなるでしょう。

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