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こころの法話集380

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法話380

風葉の身たもちがたく草露の命きえやすし(二)

福井市太田町・平乗寺住職 神埜慧淳

人のいのちは、草の露のようにはかないものであります。それを『愚迷発心集』は美しい言葉で語って下さるのであります。現代の言葉で味ってみたいと思いますが、あまりにも名文でありますので、真実をつたへることがむずかしいのでありまして、私の及ばないところであります。風にさそわれて散りゆく枯葉のように、わが身ははかないものであります。朝の露のように、いのちは何時しか消え去ります。草に宿る一時のいのちでありました。よく味ってみますと、南にも泣いている人がおります。北の村でも、別れを悲しんで泣いているのであります。別れの涙は、昔も今も変らないのであります。たとへ、どこに住んでいようとも、死別の悲しみはつきないのであります。仲の良い友達も、昨日まで、唾がかかりそうに寄りそって話しい寺ただろうに、一人遠くへ見送らねばなりません。息とどまりぬれば遠くおくる。まことに痛ましいことであうらやります。人も羨む、仲の良い夫婦でありましても、一人が目をつむれば、後に残されてひとりかなしむのであります。まさしく契をむすびし断金のむつび、魂去りぬればひとりかなしむ。まことに悲劇的な言葉でありまして、誰しも逃れることの出来ない悲しみなのであります。どんなに愛し合っていようとも、風にさそみわれて散りゆく身であり、草に宿る露のようにはかないのちい命であります。
だから、かならず一人かなしむ時が、やってくるのであります。独生独死独去独来でありまして、人と生れあわせたよろこびの中に悲しみを感じるのであります。今日の私等は、どうかすると生きる権利ばかり主張しておりまして、わが人生の、独り生れ、独り去ることを忘れております。人生の淋しさ、悲しさを否定するところに、生きる権利として、どんな滅茶苦茶なことをやってもいいんだ、考へるのであります。『愚迷発心集』を静かに味ってみたいものであります。

挿絵

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