こころの法話集412
法話412
常に私を守る如来(生きてる今に不足なし)
小浜市遠敷・西光寺住職 吉田俊逸
私の心に光明を
毎日をどのようにしておられますか。人それぞれによって異なると思いますが、やはり生きていることには何かとご苦労の多いことと思います。
今一度何かのことを縁にして、今までのことを振り返って見ませんか。自分の思うようにならないことに腹が立つ、気にいらないことには怒り、何か重大なことが生じると心配になって夜も寝れない時があったと思います。
女流作家の林芙美子さんは「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と言っていられます。今の私に腹を立てるな、怒るな、堪忍せよ、幸抱せよと言われても、その時には少々は努力するかもしれませんが、いつかは爆発してしまいます。しまった私はやはり駄目だと反省、人間生活はこの繰り返しです。
このような私に親鸞聖人は「光明てらしてたえざれば、不断光仏となづけたり、聞光力(もんこうりき)のゆへなれば、心不断にて往生す」と示しておられます。
阿弥陀如来の本願はこの私一人のために成就なされた他力本願です。この私に対して常にいつでもどこでも、すなわち時間的にも空間的にも私を守って下さっているのです。そのことに気がつかず、私たちの口にすることは、この世の中は一寸先はやみです。何のための仏法を聞いているのでしょう。人間には必ず迫ってくる老病死が待ちうけているのです。他人の問題ではなく、私のこととして受け取るとき、私たちの生活は今日の一日がとっても大切なのです。今がありがたいのです。その一日、その今は、私には同体の大悲の中に共に離れてはくださらない如来様とともに生活させていただいているのです。どうか生きていることに不足をいわないで喜びましょう。