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こころの法話集428

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法話428

幸、不幸に実態ない(主観で楽しみまで苦に)

美山町獺ケ口・正玄寺住職 岩見紀明

苦労は自分でつくる・ー茶に学ぶ①

「苦の娑婆(しゃば)や桜が咲けば咲いたとて」
小林一茶の旬です。大無量寿経に「田が有れば田に憂い、宅が有れば宅で憂う」と説かれている言葉の意味と全く同一の心境でしょう。
一茶の人生は暗い。まま母にいじめられ、十四歳ででっち奉公に出され、弟と財産相続で争い、五十を過ぎて妻をめとり、生まれた子供はつぎつぎと死に、妻にも先立たれ、家は焼け、中風を患い、後添えとは離婚し、三度目の妻は妊娠したが、その児の誕生を待たずに自らも帰らぬ人となりました。
門人・西原文虎は「一声の念仏を期として大乗妙典のうてなに隠る」と「一茶翁終焉記」の中で記しています。一茶が「苦の娑婆や」というとき、本当に実感のこもったひびきをもって聞こえますのも、このような過去をもっていたからだと思われます。
娑婆とはサハーという梵(ぽん)語の訳語です。内面的苦悩や、自然の天災地変に耐えねばならぬところという意味で「忍士」と訳されています。
ところが人間というものは愚かなもので、花鳥風月の楽しみまでも苦の種にしているという嘆息が「桜が咲けば咲いたとて」という表現になったのでしょう。
人間の世界における幸福や不幸は、けっきょくのところ自分の主観の感情がつくりだしたもので、幸とか不幸という実態があるものではないのですから、楽しみまでも苦の種にしないようこころガけたいものです。

挿絵

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