現代風の家具調モダン仏壇 仏具の通販

こころの法話集429

法話428 トップ 法話430

法話429

慈悲に安らぐ信心(大悲の仏心宿った世界)

美山町獺ケ口・正玄寺住職 岩見紀明

み仏と共に生きて・一茶に学ぶ②

小林一茶の俳句に「涼しさにみだ同体のあぐら哉」というのがあります。この旬は、よほど聴聞を重ねた方でないと味わえない句です。
縁側であぐらして涼を求めている自分の姿と、阿弥陀仏の坐像とをダブらせて、それを「弥陀同体」という悟りをあらわす言葉で、お慈悲に安らぐ信心の世界をうたった句だと思います。真宗には「仏凡一体」という安心をあらわす言葉があります。この言葉は、仏心と凡心が一体だというのではありません。
覚如上人は「最要鈔」の中で「信心をばまことのこころとよむうへは凡夫の迷心にあらず、まったく仏心なり、この仏心を凡夫にさづけ給うとき信心とはいわるるなり」と説かれて、大悲の仏心が行者の煩悩心に宿ったとき、はじめて信心といわれるのだと述べられているのです。
仏心の体は大悲心であります。凡夫の心は迷い心です。凡夫の迷心をおさとりの心にかえることはできません。そこで、阿弥陀如来は、いつでも、どこでも、だれにでもやすくいただくことの出来るみ名として、なもあみだ仏という声のはたらきとなってくださったのであります。このよび声が、私の凡情でお聞かせさせていただく時、私の心に大安心となってあらわれてくださいます。
「涼しさにみだ同体のあぐら哉」重ねられたお聴聞の結果、不幸の生涯に泣いた一茶の心に宿った安心の世界であったと思います。一茶のこの句には、仏凡一体の心境がうかがえます。

挿絵

法話428 トップ 法話430

powered by HAIK 7.3.0
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional