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こころの法話集432

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法話432

争いの世に”仏”敬う(和の理想掲げ国を指導)

福井市松本三丁目・興宗寺住職 北條紘文

聖徳太子の精神(一)

きょうは聖徳太子についてお話いたしましょう。太子は、西暦五七四年、用明天皇の皇子としてお生まれになりました。幼時より才覚優れ、二十歳の時、わが国最初の女帝推古天皇の即位とともに皇太子並びに摂政となられ、以後二十九年間国政を助けられて六二二年四月十一日、四十九歳で亡くなられました。
太子は、日本で初めて仏教を本当の意味で理解され、ご自身が深く帰依されたばかりでなく、仏教精神を国の指導理念として高く揚げられました。
その代表的なものが有名な一七条憲法で、第一条「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」と始められ、第二条には「篤(あつ)く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり。三宝に依(よ)らずんば、何をもって曲れるを直さん」と教えられています。
当時の日本は、蘇我氏が物部氏を滅ぼした直後で、なお蘇我氏は皇位継承にまで介入して、推古天皇の前の崇峻天皇を殺害するという深刻な争いの場でありました。しかも太子は摂政として、おじ崇峻天皇を殺害した大臣蘇我馬子と協調してゆかねばならず、大変苦しい状況に立たされていたのでありました。
普通ならば、そこには果てしのない争いのむし返しか、屈従かの二つ以外には考えられないところですが、太子は、和の理想を掲げて争いを退け、三宝を敬うという根本的な心の転換によって、権力に明け暮れる醜い世界から、新しい真実の価値を皆が見いだしてゆくよう指導されたのであります。
まことに、こだわりを捨て真実の知恵を仰ぐ仏教こそ、争いの世を照らし和ます光であったといえましょう。

挿絵

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