こころの法話集027
お話027
勝るとも劣らぬ生活
長野・最勝寺住職 宮武徳潤
毒草のごとき者
「慕い寄る蝶をも倒す毒草に尚ほ照り渡る天津日の影」という歌があります。南方に雑草でありながら、花は美しく香りよい花があります。その花の色と香りに引かれてチョウが来ます。それはその花の持つミツを吸おうと来るのでしょう。
しかしながらチョウが花に止まると花はチョウを花弁の中に巻き込んでしまい、チョウは花のえじきになって失います。恐ろしい花です。自然界の一つの現象です。しかしそれは私たちにとって、不可解な恐れを感ぜしめます。
しかしその恐ろしい花をもこうこうとして、太陽は照らして下さいます。なんの隔てもなく照らしていてくれます。

翻って、これをお法(みのり)の上に味わってみますと、私どもはこの毒草のような生き方をしていないでしょうか。人をして欲望をいやがうえにもそそらしめて己のために利用したり、また反対に人を傷つけたりしてはいないでしょうか。自我心の心にほだされて自らを高しとし、他人を見下していはしないだろうか。よく考えてみると、私どもの生活は実に、この毒草にも似たものではないでしょうか。
私たちはこの毒草に勝るとも劣らぬ生活を続けながら、その毒草のごとき者であることをも知らずに生きておりますが、この毒草にも太陽の光が照らすごとく悪性さらにやめ難いこの身にも常に如来様の光明は照らしづめにして下さっております。実にありがたい事です。仏様の光の中に生かされている事こそ、このうえもなくありがたい事ではないでしょうか。この毒草である、この身が大悲の日(ひかり)の中に歩み続けている事を喜ぶべきでありましょう。