こころの法話集044
お話044
戸惑う心に仏のみ手
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
日ごと年ごと
一年、春夏秋冬、季節季節に花が咲いたり、景色が変わったり、四季の変化に、私たち日本人は、その人生の歩みを進めております。なんでもないような事ですけれど、毎日のあいさつの中にも特色が出て良いものです。
天気が良ければ「いいお天気で」。雨が降れば降ったで「よう降りますね」「寒うなりましたね」「毎日暑いことですなあ」。毎日の変化って、気づいて見ると楽しい事です。
目を草木に向けて見ますと、草や木皆それぞれに、一年ごとに自分自身をつくり上げて、それぞれに出来上がっていき、私たちの目を楽しませてくれているわけです。
そして何年かの後、枯れ消えて行くまで、何回も同じことを繰り返しているのです。仏教の言葉に「常住」という言葉がございます。常に住む、常に住すると書きますが、これはいつまでも変わらない本当の姿であるということです。
古いことわざに「花は咲く咲く常住、もみぢは散る散るこれ常住」とございます。なるほど、花は毎年変わって、咲いたり散ったりしてはおりますが、その変化やなりわいそのものは変わらないということでしょうか。
ところで、私たちの毎日はどうでしょう。私たちの一年は、私たちの一生は、さて、どんなものでございましょう。つくづく思い巡らされる事柄でございます。
一年の区切りに正月はありますが、一年一年に常に変わらぬ未通ったものが見いだされるでしょうか。ただ、行ったり来りするだけで、未通った思いとは何か、ほど遠い隔たりがあるような気がいたします。
右を見たり、左を見たり、そちらで音がすれば、そちらに吸い寄せられて行く、そんな私でしょう。遠くをしっかり見つめる手だてがありません。そこに仏のみ手が、仏の指さされる姿があるのではないでしょうか。