こころの法話集057
お話057
簡単に治らぬ心の病
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
「名医の名は?」
私たちには、いろいろな苦しみがあります。これは人間である以上、仕方がないことでございます。身体があちこちと痛くなったり、胃の調子が悪くなったり、困ったものです。また、家の中がなかなか和気あいあいとは、毎日となると、うまくいかないこともございます。ちょっとしたことで荒い言葉が飛び交うこともあります。
本当になかなか、自分の思う通りにいかないものだと、心が重くなるような迷いが年とともに多くなってくるような気がいたします。考えてみると、このような目に見える苦しみや、他人が見ても分からない苦しみや悩みは限りなくあることでしょう。そして、これらの苦しみや悩みは、どれもごまかして通れるものは一つもないということです。
一人一人に課せられた、この重苦しいお荷物を、何とかして始末する方法はないものかと、必死になってあがくのが人の世の姿かもしれません。そして、心配事が悩みにまで盛り上がってきますと、もう駄目です。前後の見境もなく、「何とかなりそうだ」と思えるえさに飛びついて、拝んでもらったり、祈とうをしてもらったりなどして「やれ、やれ。これで一安心」と、自己満足に浸っている。そんな姿もあるのではないでしょうか。
ところが、どうでしょう。果たして、この深刻な人間の苦しみ、悩みが、ちょっとやそっとの一時しのぎの療法で解決できるほど、なまやさしいものと思っていいのでしょうか。この病気を治すには、名医が必要です。「仏は医王なり」経文に言われています。