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こころの法話集077

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お話077

生きる道の教え聞く

芦原町轟木・浄光寺 高木正之

聞法ということ

最近よく、ゴルフの試合が放映されます。ゴルフを初めてやる時は、長い棒で小さなボールを打って、旗のついた小さな穴の中に入れるだけだと思うと、実に簡単なように思います。
しかし、実際その小さなボールを打って見ると、ボールは真っすぐ飛ばずに、右に曲がったり、左に曲がったり、ひどい時は打ったと思ったボールが、ちゃんと下にあったりします。それでも自分一人で何回も何回も練習するのですが、なかなか思う通りにはいきません。
しかしある時、隣に打っていた人がなにげなく、「もっとボールをよく見て、打ったら」と言ってくれたので、ボールを前よりもっとよく見て打つようにしました。そうしたら、その分だけヘッドアップもなくなり、少しは真っすぐ飛ぶようになりました。
それからは、うまい人の言うことを聞きながら、練習するようになりました。でも、ついうっかりすると、前に言われた事を忘れてしまい、また同じ事を言われます。それでも聞きながら、聞きながら練習をしています。今ではだいぶよくなったようです。
このように聞くということは、自分では気付かない事を知らされる、大切な場であると思います。ことわざに「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とありますように、人の話を聞くということは、本当に大事なことではないでしょうか。

お話077

「聞法」ということは、法を聞くことです。法を聞くということは、例えて言えば、心の洗濯と同じようなものです。シャツやパンツは洗濯機で洗えばきれいになりますが、心は洗濯機で洗うわけにはいきません。何度も何度も法を聞いていくうちに、右や左に曲がっていた私が、本当の生きる道に生かさせていただけるようになるのです。
「聞法」ということは、私の本当の生きる姿に気付かせて、いただくことだと、味わわせていただいています。

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