こころの法話集094
お話094
命包むもの見つめる
福井市田原二丁目・法円寺住職細 江乗爾
「いのちからの呼びかけ」
命は私のもののようですが、考えて見ると、私がお願いしてもらったものでありません。よく「命のせんたく」と申します。楽しいことをする時の代名詞になっているようですが、いかがでしょうか。
これは、一時的に楽しくなるだけで、せんたくをしたわけではありません。命をせんたくして、きれいにしようと思えば、それこそ、命を取り替えでもしない限り、出来るはずのないことでしょう。
「安心決定紗」という書物の中に、こんな事が書かれています。私たちお互い人間は子供のころには、自分の命ということについては全くわかりませんでした。しかし、物心がつきはじめ、あれやこれやの事が分かって来ますと、人の体は、たたいても痛くはないが、自分の体はたたくと痛いと思い、自分は、自分なのだと感じ始めます。そして、大人になると、自分の命は自分の使用物だと考えます。
ところが、それが何かの機会に、縁に恵まれて、仏法にあうと、改めて気づくという事が起こります。それは、自分の命というものは、自分のものだと思っていたけれど、よく考えて見ると、自分よりも、もっともっと大きな「いのち」に包みこまれている一つの「いのち」に過ぎなかったのではないかという事に気づくようになるのでしょう。
このようにこの本では「いのち」というものの本当の姿を、本当の意味を、私たち後の世のもののために、いろいろな角度から七百年もの前に数えて下さっていることを深く味わうべきではないでしょうか。「いのち」への呼びかけが聞こえてくるようです。