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こころの法話集095

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お話095

悔いなく生きること

福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾

今という時間

「去る」というと、なんとなく寂しく感ずるものですが、「来る」という言葉は感じの良い言葉です。友達が来る、会いに来る、明るさを感じさせるものです。「来る」という字は「らい」とも読みますが、「来」(らい)という字についた言葉には未来とか、将来とか、本来とか、来世とか、如来とか、その他たくさんあります。
未来というと、「未(いま)だ来らず」と読むので、まだ来ぬ先の事、時間を先取りした言い表し方でありましょう。過去とか、現在とか、未来といいましても、それは、この大自然の無限の時間の流れを、自分なりに勝手に区切って考えて見ているだけです。
本当はどうでしょうか。何か過去、現在、未来の三つの壁があるように感じますが、生きている私に確実に分かる事は、「今」という現在だけではないでしょうか。一呼吸、一呼吸の今、一刹那(せつな)一刹那の今、この「今」しか生きているという充実した感じを持つことはできないはずです。

お話095

これからずっと未来へ向かって、いつまでも、この私が生きているとしましても、それは「生きているは今だ」、「今生きている」という、この今、今、今…の連続より外にないはずです。もう一度考えて見ましょう。この未来の「今」の中でも、その「今」の中に過去も現在も未来も、すべて含まれている、その「今」でありましょう。
このように見る時、「今」をしっかり、悔いなく生きるということは、過去をも、未来へも充実して生きるということになるのではないでしょうか。仏はそのように教えていてくださいます。

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