こころの法話集126
お話127
石の下にはおらんぞ
福井市松本四丁目・千福寺住職 高務哲量
讃岐の庄松(下)
身寄りのなかった庄松のいよいよ臨終が迫ったとき、庄松を通して仏法のご縁を喜べるようになった法友が、庄松のまくらもとに来て言いました。「皆で相談したんじゃが、わしら、お前のおかげで、まことご法義を喜べる身にさしてもろうた。そこでお前は身よりもない、恩返しというては何だが、お前の墓を、わしらで建ててやることにしたから死んだ後の事は心配するな」
すると、庄松は苦しい息の下からピシャリと言い切りました。「オラ、死んでも石の下なんかにはおらんぞ」
釈尊も親鸞聖人も、自分の亡き後墓を建て、それを拝めなどとは言われませんでした。それどころか、親鸞聖人などは自分が開眼したら、加茂川に流して魚の餌(え)にするようにと言われたそうであります。ただ残された者にとって、それではあまりにも忍びないから、茶毘(だび)に付した後、そのお骨を安置するお墓を建立し、恩徳をしのぶよすがとしたのであります。
忘れてならないのは、私たちは命終わった後、一体どこへ帰るのかという一点をはっきり見定める事でありましょう。ではあなたは命終わったら、どこにおるのですかと問えば、お釈迦様も、親鸞聖人も、そして庄松さんも、ワシのおらん所はないぞと言い切れる広大無辺のお浄土へ帰り、まさに十方を尽くして碍(さわ)り無しという尽十方無碍光如来の命に帰入されたのであります。