こころの法話集137
お話137
思いやりの心基本に
福井市上莇生田町・安楽寺住職 佐々木俊雄
愛語
アイヌ語研究の草分けである金田一京助博士が、研究のためにアイヌ人の村に入ろうとしたとき、いかに努力しても、彼らは決して打ち解けてはくれなかった。途方にくれた博士は、あるとき窮余の一策として、彼らの会話の一語をまねて話しかけたところ、なんとあのかたくななアイヌ人のひげ面から、真っ白い歯がこぼれたとのエピソードを聞いたことがあります。
たしか「ヘモイ・サパ=鮭(サケ)?」という言葉であったかと思います。言葉が心の小径(こみち)となっているのであります。
教壇で、空席になっている生徒の名前を周囲の者に尋ねることがあります。でも、ボソボソ、小さい声で答えてくれても聞きとれないときがあります。当然、もう一度問い返します。でもやっぱり聞こえません。
その時もう一度、問い返すべきなのに、私にはその勇気がありません。その時私は、さも聞こえたふりをして、名簿の中でそれらしい人を捜すのです。同じことを三度尋ねることは、とても勇気がいることなのです。また、三度同じことを聞かれたら、きっと三度目の言葉は、びっくりするほど大きな、しかもけんのある言葉になりはしないでしょうか。
家族のだんらんの中心には、言葉があるのです。言葉は惜しげなく、かつ優しく使われなければなりません。
報謝の生活の徳目に、「愛語」というのがあります。文字通り優しい言葉の意味であります。仏心は、相手を思い、相手のために働いてくださる思いやりの心を基本とするものなのであります。私どもは、せめて一つでも相手の立場を重んずる「愛語」の実践をいたしたいものであります。ご恩報謝のために。