こころの法話集166
お話166
命のはかなさを知る
芦原町轟木・浄光寺 高木正之
ウサギの死
幼稚園で飼っていたウサギが、寒い冬のある日、死んでしまいました。子どもたちは、毎日えさをやり、小屋をきれいに掃除して、友達のようにかわいがっていたのに、その日の朝は、特に寒い日だったのです。かわいそうなことをしました。先生が幼稚園の庭の隅に、お墓を作って埋めてやりました。
そして、先生がウサギの死を、子どもたちに話しました。「ウサギさんは仏様の所に帰ったんだよ。きっと今ごろ、仏様の所でお友達のウサギさんたちと、お遊びしているよ」
よく朝、子どもたちがお墓の前に集まって、小さな手を合わせ、お参りをしていました。皆、よほどウサギがかわいかったのでしょう。目に涙を浮かべながら、手を合わせていました。
子どもたちは、きのうまで生きていたものが、きょうは死んでしまった、その命のはかなさを目の当りにして、頭で考え、理解する以前に、心に感じるままに、無心に手を合わせていたのです。この時、子どもたちは命は永久のものではなく、いつかは消えていくものだということを、体で感じとり、それが合掌の姿となったのです。
お釈迦様が四門出遊で、生老病死の四苦を感じられたように、子どもたちは、ウサギの死によって生あるものは死んでいくという苦しみを無意識に感じとったのです。
それは、これから生きていく中で出会うであろう、たくさんの苦しみの中の、ほんの出発点でありましょう。その出発点で合わされた手を、これからも忘れずに合掌の心の中で、のりきっていってほしいと願わずにおれません。