こころの法話集168
お話168
人間の尊厳性が支え
福井市松本四丁目・千福寺住職 高務哲量
薩摩のかくれ念仏
なぜ、薩摩藩が真宗を禁止し、弾圧したかについては、いくつかの説が挙げられております。
例えば、北陸の一向一撲に見られるような一般民衆が同じ信仰のもとに連帯、団結して立ち上がることが、封建身分制度をさらにゆるぎないものとして確立しようとしていた支配階級たる武士にとって、不都合であったこと。
あるいは、日本統一をなしとげようとした豊臣秀吉が一番手こずった南九州征伐に、真宗門徒が協力したこと。また、重い年貢をとられた極貧の生活の中から本山へ墾志を差し出そうとしたために、藩主の怒りを買ったことなどが考えられます。
しかし、いずれにせよ、阿弥陀如来の前には皆平等に救われていくべき凡夫であるという、徹底した浄土真宗の平等思想は、権力側に立つ者にとり、いつの時代でも決して都合のよい教えであるはずはありません。形こそ違え、親鸞聖人や法然上人が弾圧され、流罪に遭われたことも、その根は同じでありましょう。
しかし、お念仏のおみのりを通して人間の尊厳性に目覚めた人の心にともった信心の灯は、いかなる迫害、弾圧にも耐え、いよいよ強く確かに輝くことを、そしてこの灯はどのような力をもっても消えないものであることを、宗祖やこうした私たちの念仏の先輩たちは自らの生き様をもって示して下さったのであります。鹿児島別院の境内には、なみだ石と刻まれた拷問に使われた石が置かれ、だれが歌われたか、次のような歌が残されております。
“なみだ石涙にぬれて黙しけり
まことの命 ためさるる時”