こころの法話集175
お話175
死出の山路 何で越す
大野市伏石・常興寺住職 巌教也
箱根八里は…
あるお寺の聞法会で、私はこんなお話を聞きました。
「“箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川”という歌は、実は”箱根八里は歌でも越すが、越すに越されぬ思い川”という、長野県の昔の臼(うす)歌がルーツだというのです。そして思い川は、恋の思いが深く流れてやまないことを、川にたとえているというのです。末とげられない恋のつらさに比べたら、箱根八里の険しさなどは、まだまだ鼻歌まじりではないかというわけです」
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この場合、馬が歌に、大井川が思い川に変身することによって、ガ然私たちの身近な歌になりました。最近流行のカラオケ演歌どころではございません。あなたの思い川はいかがでしょうか。
これはおまけですが、昔ある殿さんに、ある坊さんがこんな歌を教えたそうです。“箱根八里は馬でも越すが死出の山路は何で越す”これもまた、お互いに大事な避けては通れない人生の問題だと思います。