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こころの法話集207

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お話207

浄土は「汚れ除く国」

坂井町下兵庫・照円寺住職 森瀬高明

限りなく浄く広い

「浄土」とは「けがれなきくに」であるとともに「けがれを除く国」であります。この二つの要素が完全に全うされてこそ、阿弥陀仏建立の浄土と言えます。お浄土は私たちのような罪悪深重の凡夫が無数に住生しているし、これからも住生するわけですから、凡夫の吐き出す毒気のため、次第に汚染されて行くかもしれないという心配があります。
しかし、「汚れを除く国」であるなら、私たちが浄土に生まれたときには、あらゆる汚れのもとの煩悩は全部除かれているのですから、「浄土」は絶対汚されることはありません。

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浄土は「汚水処理場」だと説く人があります。誠に見事な解釈だと言えましょう。つまり、「汚水処理場」は「汚水」を浄(きよ)めて「清水」にする所であって、汚水を捨てて、「新しい水」と入れ換えるところではありません。「汚水処理場」は、「汚水」のない所には必要がないのです。必要のない所に仏の努力はありません。「煩悩即菩提」「娑婆即寂光」などの言葉に現われていますように阿弥陀如来のお働きは、私のような凡夫が住む所にこそ必要なのです。「弥陀五却思惟の本願を案ずれば、ひとへに親鸞いち人が為にて候」と、仏さまのお働きを自分ひとりにぴたりと定められた親鸞聖人のお諭しを味わわなければなりません。
私たちの帰るべき浄土は、限りなく浄く、限りなく広いものです。

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