こころの法話集212
お話212
仏に受け入れられる
春江町千歩寺・順教寺前住職 中臣徳恵
念仏者は大海の如く転ぜられる
親鸞聖人は「如衆水入海一味」(にょしゅうしにゅうかいいちみ)と「正信偈」に讃仰(さんごう)せられました。海はあらゆるものを区別なく受け入れて、塩水の清らかな水に転ずるのであります。聖人は今まで京都で海のない所におられたが、遠く日本海の見える、今の新潟県へ無実の罪によって流されたのであります。
毎日、居多(こた)の浜の周辺をじっとご覧になって、朝に夕に、降る雨、汚くなった泥水も、大海はいちいち受け入れて、直ちに清らかな同じ水に転化してゆくその海の広大さ、これぞ、お念仏のお徳をいただいたものが、どんなものでも受け入れて、転化して下さるとお喜びになって、群生海、大宝海、大智海、大心海、各号不思議の海水、大装大願の海水、生死の大海、衆善海水、智願海水、弥陀智願の広海、などなどとお述べになっておられます。他力回向の大信を信受した念仏者の日々は、この大いなる仏のいのちの中に摂取せられるのであります。
今までの生活態度も変わるのであります。禍(わざわい)が転じて幸となり、悪業が転じて善と転じゆく世界、新しく生まれ変わる感謝の生活、漸悦の生活、勇気の生活、希望にみたされ、生き生きとして一日一日を喜んでは、省みて慙愧となりこのすがたが、現生生定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)の恵まれた利益(りやく)であるとわれらに教えられました。