こころの法話集241
お話241
悪をやめて善を行え
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
娑婆(シャバ)という言葉はインド語のサーバが転じたもので「忍土」と訳されます。苦しみを耐えねばならない境地であるわけです。
「私は何も悪いことをしていないのになぜこんな苦しみをうけるのか」と思うことがあります。苦しみは多く煩悩から生じたものですが「すべての人は生活のためにつとめ苦しみ、欲のために害毒の心をいだき、悪心がむらむらと起こって、血をみるような惨事をまねこうとする。天地の道理にそむいて、人倫の心にしたがわないのである。人々は三毒の煩悩のために仏道に入ることができない。よく考えて悪をやめて善を行え。いますぐに三毒の煩悩を断ちきれというのでなく、心して世間の道、仏の道にしたがえとすすめるのである」(無量寿経下巻)とお釈迦さまは悪をやめ善を行えとお教えになっています。
むろん凡夫の私どもは煩悩をたちきることはできるものではないこともお見通しであり、心がけよということです。
しかしそういわれても、私どもにはなかなか悪人である自覚はありません。世間では法律違反、犯罪者、不道徳な人、不人情の人などが悪人といわれます。私にとって価値あるもの、よろこびをあたえるもの、すぐれたものを善といい、害のあるもの、好ましくないもの、劣ったものを悪といっています。しかし真宗でいう罪悪の凡夫とは、仏の光に照らされた人間の姿が罪深い自己であると知らされるのです。