こころの法話集260
お話260
待たせてご免なさい
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
お産や法事がおわる時間が予定より遅れて、月忌(がっき)の読経にお同行宅へいく時間が大幅に遅れて、お同行をすっかりお待たせしてしまうことがあります。
「ご院さん、長い時間待ってたのやで。ほんとに待ちくたびれたがいの」「ほんとに、おばあちゃん、玄関を出たり入ったりしていたんですヨ」と家人。
「いやあ、すみません。電話するにも田んぼの中の一本道だったりして、お待たせしてあいすみませんでしたね」「待っているのが若い女の子やとよかったんやろけども」「またまた冗談。ほんとにすみません」「いいんですよう。阿弥陀さまが待ってまって待ちかねておいでからみたら、一時間や半日くらい何でもないがいの」
待たせても待つ身になるなといいますが、阿弥陀さまは十却のむかしから、お呼び掛けであります。読経を待ちかねて家を出たり入ったり-法然上人も親鸞聖人もお浄土と娑婆(しゃば)の間を往返いくたびといわれます。
家を出たり入ったりさせて、おばあちゃんを待たせた私-そのおばあちゃんは阿弥陀さまをお待たせする身。待たせた私もまた阿弥陀さまに待っていただく身です。忘れたわけではないが、していることはお恥ずかしい限り。そう知っていて、あのお粗末な毎日です、無量寿経の「聞法濃不能-法を聞いてよく忘れず」とお示しいただきながら、横着な私であり、あいすまないことであります。