こころの法話集295
お話295
仏法聞くことが救い
大野市伏石・常興寺住職 巌教也
親鸞聖人のお言葉を聞き書きした「歎異抄」という本の第四節に「すえとおりたる大慈悲心」という言葉が出てまいります。
仏さまのかぎりなく大きく広く深い心を「慈・悲・喜・捨」の四つの言葉で、仏法は私たちに教えて下さいます。慈は人間の苦を抜く心、悲は楽を与える心、喜は生きる勇気をたまわってわきあがる喜びの心、捨は差別のないあたたかな自由と平等の心であり、仏さまの豊かな満足の心を、智慧(ちえ)と慈悲によって、私たちに与えて下さるその心の働きを、実は仏さまと申しあげるのであります。
難行の小路は、袋小路に行き詰まりますが、念仏の大道は、すえ通る「絶対自由の道」でありました。ひょっとすると、私たちは仏さまを自分の欲求不満を満足させるために利用したり、ノロイとかタタリとかいった恐怖からのがれるための道具にしたりしているのではないでしょうか。
喜びにつけ悲しみにつけ、悩み多い私たちの人生にとって、仏法を聞くことができるという、その一点のご縁に結ばれて、はじめて私たち人間の「たましいの救い」のまことを、この身この心にちょうだいできたという、純粋な精神生活のよろこびの感動こそ、仏さまの「すえとおりたる大慈悲心」のありがたい働きのたまものでございました。