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こころの法話集308

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お話308

坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政

自己を聞くのが聞法

このごろ、お葬式のあり方は大変立派になりましたね。亡くなった人を崇敬する気持ちで、お葬式を立派にすることは、まことに尊いことでありましょう。しかし、そういう形式的なことだけが宗教でありましょうか。
また、私たちはいつもご法座に参らせていただいています。しかし、ご法を聞くことは、仏法の言葉をおぼえたり、道理、理屈をおぼえることで終わってしまいそうなのは、まことに残念なことだと反省させられることであります。
禅宗の言葉に「仏道をならうのは、自己をならうなり」という言葉があります。本当にご法を聞くことは、実はこの私自身を聞くことではないでしょうか。
とかく私たちは、他人のことや世の中のことにばかり目を向けて、悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりして、自分自身の心のすがたについては、何も知らないのが常のようであります。しかし、そういう自分こそあさましいことではないでしょうか。「目くそ鼻くそ
を笑う」とか、「自分の家の障子の破れ目から、隣の家の障子の破れているのを見て悪口を言う」里諺(りげん)もありますね。
そういうあさましい自分の心のすがたは、聞法によって、初めて知らされるのであります。
妙好人才市さんが「あさまし あさまし」と、自分の心をながめたその後に、
かがみで見りや わかる
南無のかがみは 機を見るかがみ
法のかがみは 親みるかがみ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
と言って喜んでいます。
宗教とは、聞法とは、何をおいても、この自分のありのままのすがたを聞くことでありましょう。

心にも「食べもの」を

お話308

このごろ「人権」ということがやかましくいわれています。私たちはかけがえのない尊い生命をもっているわけですから、その生命を何ものにもおかされないよう「人権」を主張することは大切でありましょう。しかし同時に、この尊い生命を与えられたことに対し、深い感謝の心を抱くことも大切であります。
生命をもっている動植物は世界に無数にありますが、その中で、人間としてその生命をうけることの出来たことは、まことにまれであります。そして、さらに考えねばならぬことは、同じ人間に生まれながら、人生の真実を教えて下さる仏法に合うことの出来るのは、さらにまれであり、ありがたいことであります。
むかし内務大臣であった望月奎介の逸話は、大いに考えさせられるものがあります。ある時、大阪城修復の視察に行かれた望月氏は、公式視察のあと、また一人で工事現場へ行かれました。ちょうど中休みで一服していた作業員に向かって「あなた方は、この暑いのによく精が出ますね」と言われると、作業員はおかしな老人だと思って「当たり前よ、働かねば食ってゆかれぬわ」。そこで望月氏は「なる程、働くのは食うためですね。では何のために食べるのですかね」と言われると「つまらぬことを言うな。食わねば生きてゆかれぬではないか」。そこで望月氏は「生きるために食べることはもちろん必要ですね。しかし、それだけなら、動物と同じですよ。せっかく人間に生まれたのだから、もっと何か大切なことがあると思いませんか。体を生かすために食べることも大切だが、心を生かすために、心の食べものも忘れてはならないのではないでしょうか。それはご法を聞くことです。大阪にはお寺もたくさんあります。時にはご法を聞くことも忘れないで下さいね」。
と言われたということです。
聞法は人間のみに許された大きな幸せであります。聞法によって、真実に基づいた人生を送らせていただきたいものであります。

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