こころの法話集338
法話338
一心見道
勝山市沢町一丁目・法勝寺住職 佐々木蓮證
本当の幸福とはなんであるかもわからず、妄(もう)今坐安想のままに幸せを求めあるき、幸福と思うときは有頂天になって自己を忘れ、不幸と思う時は悲観して自己を失い、一喜一憂、一進一退しているありさまを迷いの人生というのでありましょう。生活をするのには、お金をはじめとして、たくさん大事なものがありますが、それらが大事だと言えるのは、私が生きていられるからでありまして、死んでしまえばなんの価値もなく、役にも立ちません。
また生きていても、不意の利益を得た時は幸福が来たと思い喜んでも、目先の欲望を満たすだけで、永遠の身のためにはならず、また、どん欲にツメに火をともすようにして財を成しても、自己を失ったものは、慢性不安症となり、つまらんつまらんと不平や愚痴をこぼしながら、最後には帷子(かたびら)一枚でめい土へ行く人生では悲しい限りであります。
仏教に「一心見道」という言葉があります。それはこのかけがえのない自己を確立する…どのような境遇にあっても、どのような場合でも自己を失わない…自覚の知恵が、仏の本願に帰すれば自然に成ずということであります。すなわち仏様のお心をいただければ、本当の自分に目が覚めるのであります。
仏法の知恵ということは自分に目覚めるということであります。自分が明らかになれば、すべてのものは正しく明らかになってくるのであります。だから仏法の知恵には解脱ということが必ず伴うのであります。こういう知恵が人間の上に成就したのを一心(信心)というのであります。