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こころの法話集383

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法話383

仏の心を念頭に(家庭における子供の教育)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職 佐々木教応

見られている私

いつの時代でも教育の大切なことは申すまでもありません。特に今日の時代は、青少年の教育についての重要性が強く叫ばれ、その育成についての関心も大きいわけです。先生でもない者が教育を語る資格はありませんが、今はただ、身近な家庭における子供のしつけと言いますか、そだてと言うか、そうしたことを私なりに考えてみたいと思います。
今日は子供の教育についての関心が強いあまり、ともすると家庭が学校教育の延長になりやすいということです。知的教育が先走って偉い人は育ってくるかもしれませんが、ありがたい人は生まれてこないのではないか。
家庭における子供の教育とは、「心を育てる」「心を養う」ということであろうかと思います。親鸞聖人の和讃に「護持養育たえずして」とありますが、み仏は私たちを常に守り、養い育てて下さる、そこに自然と宗教的な人間が育ってくるのでありましょう。
親として子供を育てる場合、仏様の心を念頭において、目に見えるものを教えるだけでなく、目に見えないものも同時に教えていく。見るという教育から、見られているという育て方が大切だろうと思います。
見ているという教えだけでは、人が見ていない時には何をするかわかりません。一歩進んで、私はいつも「見られている」ということ。「行って来ます」と学校へ出て行く子供の後ろには、けがせんようにとの母の姿がある。これと同じように、私たちは気付かないままに常に仏様に見られている、念じられていることを子供たちに教えていく育てが大切ではないかと思います。

挿絵

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