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こころの法話集388

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法話388

現実は多くが逆に(仏の中での目覚めで展望)

坂井町蔵垣内・勝林寺住職 佐々木教応

願いに生きる(一)

人間お互いに生きる上で、願いを持たない人はまずおらないと思います。人それぞれに希望を持ち、その望みをかなえるために人間の絶え間なき営みが続けられるのでしょう。
ところが現実は必ずしも人間の願いをそのままかなえてくれません。いやむしろ反対に願いもしないことが、私の上に降りかかって来ることの方が多いのではなかろうか。たとえその願いがかなえられたとしても、それは永久的なものでないことは申すまでもありません。
願いを持ちながら願いが満たされず、望みもしない災いが訪れて来て、希望にふくらんだ願いもいつの間にか、不幸からのがれようとする神仏への願いと変わることも当然でしょうし、そこにまた人間の弱さを見ることも出来ます。
考えてみますと、人間の強がりも願い通りとはいかなくても、なんとか軌道に乗っている間は、天下わが物のように威勢がよいのですが、一度予期しない不幸に見舞われると、正しい判断さえ見失って、右往左往する醜態をさらけ出します。
こうした現実を通して、不幸から逃れようとする逃避的な生き方から、その災いをしっかり受けとめられるような生き方が出来ないものかどうか、お互いに考えてみたいと思います。でもこれは凡夫の私には不可能なことでしょう。
不可能を可能にするのが人間の英知だと言うかも知れませんが、しかし凡夫の内面の弱さは人間の英知ではどうすることも出来ないでしょう。不幸な涙の淵に沈む私の心の中に、不幸のそのままを抱きしめて幸せにしてやりたいとの仏の願いの中に生きる自己の発見、願いをかけてゆく人生から、願いをかけられている私への目覚めの中に、新しい道が開かれてくるのではないでしょうか。

挿絵

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