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こころの法話集409

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法話409

呼び声がお念仏に(常に私のそばを離れず)

小浜市遠敷・西光寺住職 吉田俊逸

慈悲とは如来様の愛と慰めのお心

阿弥陀如来様は私が必ず会わねばならぬ老病死の苦悩に対し、人間はこのことから逃げることも断ち切ることも出来ない私であることを知らせて下さり、常に愛と慰めの言葉をかけて下さいます。これが如来様からの呼び声であり慈悲心です。
この呼び声がお念仏となって私を人間として育てて下さるのです。これが調熟の光明というのです。このおはたらきこそ、私の苦悩に対して愛と慰めの言葉として常に私のそばを離れては下さらないのです。
自分だけで大きくなり、自分の力で世の中のことを解決しているように思っている私が、如来様の本願力によってお育て頂いていることに知らされる、私と如来様との深い結びつきの中にいることに気がつきます。これが摂取不捨の光明のおはたらきです。
親鸞聖人の和讃に「如来の作願をたづぬれば、苦悩の有情をすてずして、回向を首としたまいて、大悲心をば成就せり」とお諭しになっていられます。この私のための大悲心です。ありがたいことです。
常に私の前に横たわっている老病死の問題を、他人事のように思っていたことが私のこととして知らさせて頂き、あらゆる苦悩を私のために苦しんでいて下さることに他力本願を喜び、どのような困難に出会っても、今の御和讃の言葉にあるごとく「苦悩の有情を捨てずして回向を首としたまいて、大悲心をば成就せり」とはこの私一人のための本願であったことに感謝し喜びましょう。
我れ常に如来と共にあり、私がぐちを言えば、如来様はどのように悲しんでいられるかと思うとき、感謝のお念仏の生活をして暮らさせて頂きましょう。

挿絵

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