こころの法話集422
法話422
魚の習性人間にも(抜けきらぬ煩悩に名残)
美山町獺ケ口・正玄寺住職 岩見紀明
人の世のはかなさ(三)一茶の俳句に学ぶ
「魚どもや桶(おけ)とも知らず夕涼み」
小林一茶の句です。人の世のはかなさも知らずに浮世の涼を楽しんでいる姿を詠んだものでしょう。一茶はこの旬に自分の姿を見てとっていたものと思われます。
芭蕉にもよく似た句があります。「蛸壼(たこつぼ)やはかなき夢を夏の月」というのです。魚類には、自分の住んでいるところが一番安全なところだと感ずる習性があるようです。だからタコは、自分の住み家であるつぼが動き出すものなら、なおのこと、つぽの底にしがみついてしまうので、タコの習性を知った人間にまんまとだまされてしまう姿は、あわれというよりほかはありません。
あるとき、子供にせがまれ、金魚を買って帰ったことがあります。家に着くなり、ナイロン袋ではさぞ窮屈だろう、早く金魚鉢の中に移してやろうと思って袋から鉢に移すと、水だけが先に出てしまって、あとに残ったごくわずかの水のところに必死になって残ろうとしているのです。
まさに「久遠劫(くおんごう)より今まで流転せる苦悩の旧里は棄て難くいまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛にて候ふにこそ、名残惜しく思へども娑婆(しゃば)の縁つきて力なく終わるとき彼の土へ参るべきなり」です。
限りある有限を無限と思って「この世をばわが世とぞ思う」といった中世の貴族を思いだします。限りある存在であるゆえに彼岸世界が建立されてあるのです。ぬけきらぬ煩悩のおけをすべてと思っているあわれさがしみじみと詠まれています。