こころの法話集206
お話206
輝く光の到来を約束
坂井町下兵庫・照円寺住職 森瀬高明
黄昏を見つめる
観無量寿経(観経)というお経は、息子に裏切られたマカダ王国の王妃イダイケが、牢獄へ釈尊に来てもらって、たくさんの如来の浄土を見せてもらった物語に託して阿弥陀如来の救済を説いたお経です。
イダイケは釈尊に「浄土のお姿を今、直接肉眼で見せて下さい」とねだけました。それに対して釈尊は「太陽がまさに沈まんとする黄昏(たそがれ)時を思い浮かべて見よ」とおっしゃいました。イダイケは目をつむりました。「イダイケよ。お前が瞼(まぶた)に浮かべている光景をしかと見よ。これが浄土のお姿なのだ」とおしゃいました。これを「日想観」と申します。
すなわち日がまさに沈まんとする夕刻とは、闇(やみ)を目前にした一日の終わりにかかろうとしています。鳥や獣はねぐらへ、人々は帰路へ急ぎます。人生の旅路のはては「死」を迎える直前の姿です。老若男女、善人、悪人など一切を差別せず、太陽は血のように赤い光をふりそそぎ、旅路の終わりを告げています。それと同時に深い深い暗黒を乗り越えれば、輝く光が来ることを約束しています。
つまり、夜の次に朝が来るように、「死」は「新しい生」への「出発」の第一歩にもなります。
阿弥陀如来が迎えて下さるすばらしい朝こそ、すべての者が帰るべき「浄土」であると釈尊はおっしゃったのです。