こころの法話集001
お話001
心正しく、生きがいを
福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾
快い闇?
「闇(やみ)は光を予想する者にのみ苦である」。ある念仏者のコトバです。光を求めていない者にとっては、闇は苦ではないようです。人間は風に揺らぐ葦(あし)のように、揺れながら、自ら閉ざした暗い闇路をさまよっているのです。
経文の中の三毒段では、悪を遠ざけ、善を求めて勤め、励めと教え、また、五悪段でも、めざめよ、闇をいでよと、呼びかけて下さっているのです。人は自分の生活に、頼りになるものを失ってしまったといえます。これこそ確かだ、これを離さず、これを頼りにしておれば、間違いない、というよりどころを見失ってしまっているともいえます。

これでは、本当に楽に生きることは出来ません。努力精進だなんて無理な話です。何が来ても、すぱり、すぱりと切り抜けていくなんて、とても出来ません。いかに物に恵まれてはいても、家庭争議や疑心暗鬼などに明け暮れていては、生きがいのある充実した毎日が送れるはずはないのです。
仏法は、「一心制意、端身正行」と教えます。心を正しく統(す)べられると、身も正しくなる。身も心も法に統べられるというのです。言うことと行うことが一つになります。人間の悲しい姿が、仏の慈悲によって統べられ、凡夫のはからいから仏のはからいへと、移って行くのでしょう。