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こころの法話集028

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お話028

正しい法聞き罪自覚

長野・最勝寺住職 宮武徳潤

み光に照らされて

「人ならで我身の罪の深しとはみのりの水をくみてこそ知れ」。この歌は九条武子夫人の御歌です。人間は人の悪はよく見えますが、己の悪はなかなか分かるものではありません。蓮如上人様も「人の悪きはよく見ゆるなり己れの悪きは覚えざるなり己れに知られて悪ければいよいよ悪きなり」と仰せられておられます。

お話028

当流にて罪悪深重煩悩熾盛(しじょう)の凡夫と申しますが、われわれは真実自分自身が罪深き者とは思えるものではありません。しかしながら自己の罪深きことを知らずしては法を求める心も起こらず、法によって救われる大いなる喜びを感ずることは出来ません。信仰とはまず自己の罪悪に目覚め、そこに救いを求め、それが如来の大悲によって救われて大安心大満足の世界に入ることでしょう。宗祖聖人様は「われらが身の罪悪のふかきほども知らず如来の御恩のたかきことをも知らずして迷へるを思ひ知らせんが為に候ひけり」と歎異砂に仰せられてあります。しかしながら罪の自党とは自分から自覚出来るものではありません。正しき法の光に照らされて初めて分かるものですから、まず法を聞く事が一番でしょう。正しい法を聞くところおのずからわが身の罪の深きことが知られてくるのです。この罪悪深重の私の上に「我よく汝をまもらん」と呼び続けて下さっている大悲の呼び声が響いてきます。そこにありがたいもったいないの心がゆう然とわき起こるのを覚えるでしょう。人を恨むでなく悲しむでなく、如来の慈光の下に生きている喜びをかみしめて念仏させて頂きましょう。

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