こころの法話集030
お話030
あるがままを喜ぶ
福岡・円徳寺住職 野上正行
何をさしおいても②
「何をさしおいても」心の教育とは、念仏申すことです。仏の道を聞き抜くことです。無心に受け入れることでしょう。世の多くの人は、自分の欲望のために、念仏申す人があるが、とんでもない誤解です。
ないものを追い回すより、せっかく得た今日の平和を大切にすることです。あるがままを喜ぶ感謝の生活こそが仏に随順するただ一つの道です。
それが「すなおに感謝できないとは、聖人は、あまりにも仏の大恩が大きすぎるから、なれすぎて、マヒしてしまって、なんとも感じない愚かさが人間にあるものです」と教えて下さっています。
気をつけましょう。真宗の聞法と言うものです。一つまた一つ、命あらん限り無心になって聞く。平和の中にいながら、幸福の中にいながら、ご利益の真っただ中にいながら、お慈悲の真っただ中にいながら、気づかず外ばかり隣ばかり見て、負けじと走り続け、どこに行くのか。終点は倒産、自殺、他殺、うつ病…。もうこの辺で一度立ち止まって落ちついて必ず救うと仏の慈悲の、み声を聞き念仏を申すより外にない時世である。