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こころの法話集036

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お話036

浄土でさとりに至る

小浜市遠敷・西光寺住職 吉田俊宣

仏さまってなに?④

”起きて 顔洗うて 朝ごはん食べて 働いて 昼ごはん食べて ちょつと働いて 晩ごはん食べて テレビ見て 寝て”
大阪の先輩から聞いた言葉ですが、私たちの日常生活をうまく言い表しているなあ、と感心させられたことです。十人十色、人それぞれに生き方があるでしょうが、大抵これのローテーションの中に収まってしまうのではないでしょうか…?

お話036

その合間に、旅行や温泉や、忘年会や新年会やと、つかの間の楽しみや慰めを入れて現実を忘れようとし、いとしい憎い、損した得したと、ホンに一時的な目の前だけのことにとらわれ、真の生きがいを問うこともなく、老い、病み、死んで行くのです。
”人の世は 食うて稼いで 寝て起きて さてその先は死ぬるばっかり”
そんな人生への警鐘。一休禅師の歌です。
私たちは一体、何のために生きているのでしょうか。起きて、食べて、働いて、寝る。その意味は一体どこにあるのでしょうか。そんな問いに、祖師たちは自身の人生の歩みを通して、はっきりと答えてくれています。人生の究極の目的をはっきりと知り、その道を生きることなんだよ、と…。
究極の目的とは、浄土で真のさとりに至る(仏になる)ことであり、今その浄土への道を歩む人生であるということであります。移ろい変わっていく目先のものばかり頼りにし、とらわれている私に、変わらないものをよりどころとして、二度とないこの人生を、どうぞ本当に生きてくれよ、という仏さまの真実の声、それがナモアミダブツでありました。
浄土は、この私の生のよるところ、死の帰する真実の世界である。

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